連日ニュースで報じられている「年収の壁」の引き上げ。103万円のほかに106万円、130万円など、所得税や社会保険料の負担を巡る「壁」が幾重にも立ちはだかっている。これって一体何なんだろう?どうして、このような複雑な仕組みになってしまったのか、サラリーマンの手取りや年金にどのような影響を及ぼすのか。それぞれの「壁」について、改めて仕組みや課題をまとめた。(時事ドットコム取材班・編集委員 )
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103万円=税金の「壁」
―103万円は何の境目?
「103万円の壁」は、年収が103万円を超えると所得税が課されることを指している。
所得税には、家族構成などに応じてさまざまな「控除」が適用され、年収から控除分を差し引いて課税の対象となる額が決まる。年間所得が2500万円以下ならすべての納税者が受けられる「基礎控除(最大48万円)」に加え、給与を企業から受け取る人には「給与所得控除(最低55万円)」があり、合わせると103万円。勤め人の場合、これを超えた所得分から所得税が発生する仕組みだ。
―パートやアルバイトの話も聞くけれど。
かつては、企業の配偶者控除(最大38万円)が受けられなくなる基準も103万円だった。現在は、一定の基準を満たせば、150万円まで満額支給されるが、企業が手当などを支給する際に103万円の基準が一部で残っていることなども影響してか、今も主にパートタイムで働く人たちの「心理的な障壁」になっていると言われている。
103万円を少々超えて働いても、働く本人にかかる税額は小さい。
ただ、19歳以上23歳未満の学生らがアルバイトなどで103万円を超えると、生計を共にする親が63万円の「特定扶養控除」を受けられなくなり、親の手取り収入も減る問題が生じるので注意が必要だ。
社会保険料など別の要素とも相まって「働き控え」が定着して、世帯年収が上がらない要因の1つとされてきた。
年収500万円で約13万円の減税
―103万円を引き上げると何が変わるのか?
2024年10月の衆院選で「103万円の壁」引き上げを公約に打ち出して躍進した国民民主党は、所得税が課される年収を103万円から178万円へと引き上げる案を主張している。大和総研の試算によれば、基礎控除を引き上げ、給与所得控除との合計額を178万円にした場合、年収が500万円の世帯は13.3万円、800万円の世帯は22.8万円の減税になるという。
178万円は、103万円に引き上げられた1995年と比較し、最低賃金が1.73倍に上昇したことから算出した。物価高の中で、手取りを増やす選挙公約は、先の衆院選で注目を集めた。
手取り増、「働き控え」改善にも期待
―実現したら、どんな効果が期待できるのか。
減税を通じて手取りが増加するのは、物価高が生活を圧迫している家計には朗報だ。手取りが増えて、消費につながれば、経済全体が活性化するかもしれない。
近年、人手不足や政府の賃上げ政策により、最低賃金が上がってきている。時給が上がることは歓迎だが、一方で「年収の壁」があると、時給の上昇に伴い、働く時間を短くする「働き控え」がさらに進んで、人手不足が深刻になるケースも出てきていた。
帝国データバンクの調査(有効回答企業数1691社)では、「103万円の壁」の引き上げについて約68%が「賛成」と回答。企業からは「103万円の壁を意識するパートの方が多く、引き上げれば働き控えが解消される」(飲食店)と改善に期待を寄せる声が多かったという。
ただ、103万円の壁が取り除かれたとしても、106万円、130万円といったさらなる「壁」が待ち構えている。
106万円・130万円=社会保険の「壁」
―「106万円の壁」も聞くけれど、違いは?
こちらは、社会保険料の負担が発生する壁だ。パートなどで働く人が、一定の年収を超えると、扶養を外れて社会保険料の負担が発生し、手取りが減少するというもの。
従業員51人以上の企業などで働く人は、週の労働時間が20時間以上で、月額賃金が8万8000円、年収換算で106万円を超えるなどすると、厚生年金や健康保険を支払う必要がある。
従業員が50人以下の企業などで働く人も、年収が130万円を超えると、国民年金や国民健康保険の保険料支払いが生じる。
「106万円の壁」を巡っては、最低賃金が上昇したため、月額賃金を8万8000円に抑えようとして、働く時間をさらに減らそうという人が出ると、人手不足に拍車が掛かると懸念されている。
このため、厚生労働省の審議会が、106万円の年収基準を撤廃することなどを柱とした見直し議論を進めている。賃上げが進む中で、短時間働く人が「年収の壁」を意識して就業調整をせずに働ける環境づくりが重要だとしている。
手取りVS将来の年金
―106万円の壁を撤廃したら、働く人への影響は?
厚生年金に入れば、将来の年金収入は増えるメリットもある。
ただ、社会保険料の支払いが増えて、直近の手取りが減ると、家計が厳しくなるという人もいるだろう。生活に困る人たちへは、支援策が必要だとの声が上がっている。
―150万円から上にも、壁はあるの?
「配偶者特別控除」が受けられるかの境目にも「壁」がある。年収150万円を超えると配偶者特別控除が段階的に減額され、年収201万円を超えると控除が適用されなくなる。
税収、企業負担、課題は…
―国や地方の税収が減るという話も聞く。
政府は、「103万円の壁」を178万円に引き上げる国民民主党の案を採用すると、国と地方を合わせて7兆~8兆円程度の税収減を見込む。地方自治体にとっては、個人住民税や地方交付税で計約5兆円の収入減になるとみられる。
全国の指定都市で構成する指定都市市長会は、見直しについて「税収への影響が甚大であり、行政サービスの提供に支障を来す可能性がある」と懸念を表明。その上で「住民に必要な教育や子育て支援など基礎的行政サービスを提供するための地方税財源に影響を及ぼすことのないよう強く求める」と代替財源の確保を訴えている。
また、社会保険料は、企業側も負担する。106万円の壁を撤廃して、週20時間以上働く従業員は年収を問わず厚生年金に加入させて人数が増えれば負担が増える。中小・零細企業にとっては、これまでの最低賃金の上昇や原材料費の高騰に、新たな負担増が加わることになる。
日本商工会議所の小林健会頭は「経営者負担がいきなり増え、小規模事業者にとっては非常に大きな負担になる」と懸念を示している。政府内では、労使合意があれば企業側の負担割合を増やすといった、働く人の負担軽減案も検討されており、中小企業側についても負担を軽減する措置を求めている。
税と社会保障、全体の改革を
―こうしてみてみると、壁だらけに感じる。
「103万円の壁」の先にも、さまざまな「壁」が立ちはだかっており、税と社会保険(年金・医療)の全体を見て改革する必要がありそうだ。
こうした複雑な仕組みになった背景には、当初の制度設計が、会社員の夫とパートで働く妻といった世帯構成を前提としていたこともある。夫が養っている家族の生活を守るために「控除」という仕組みができた。
しかし、時代の変化とともに、共働き世帯も増えた。深刻な人手不足の中で、本当はもっと働きたいパートタイマーの人も一定程度いるものの、依然として「働き控え」をしているなど、社会経済の環境が変わる中で、従来の枠組みが現状に合わなくなっている側面もある。
帝国データが実施した「103万円の壁」を巡る調査でも、103万円からの引き上げではなく、撤廃すべきとの回答が2割を超えた。企業からは「古い制度は撤廃し、働いたら金額にかかわらず応分の税を徴収する文化が最も公平」(情報サービス)と、今の複雑な制度を刷新し、納税や社会保障負担の公平性を求める声も出ている。