中国軍で習近平国家主席(中央軍事委員会主席)に抜てきされ、軍高官の人事を牛耳ってきた実力者が失脚した。軍内大派閥の中心人物だったこともあり、その粛清の衝撃は2023年秋の国防相解任よりはるかに大きく、10年以上続く習政権で最大の政変となった。(時事通信解説委員 西村哲也)

国防相以上の大物

 中国国防省報道官は11月28日の定例記者会見で中央軍事委政治工作部の苗華主任(中央軍事委員)について、重大な規律違反の疑いを理由に「停職・検査」を決定したと発表した。中国の「反腐敗」は単なる不正摘発ではなく、権力闘争の手段であり、疑惑が公表された高官はその時点で失脚となる。

 軍指導部メンバーの処分を公式メディアではなく、国防省報道官が発表するのは異例。高官の不正摘発で多い「規律・法律違反」ではなく、規律違反なので、主に政治的問題について調べられているとみられる。

 苗主任は、政治規律違反や汚職で失脚した李尚福前国防相と同様、中国軍を統率する中央軍事委のメンバー。中央軍事委入りしていない董軍国防相より格が高い。

 国防相は主に軍事外交を担当する儀礼的ポストだが、政治工作部主任は軍内の人事、組織、思想工作を取り仕切る実権を持つ。苗主任はこの要職を7年も務め、軍における習主席の影響力拡大を助けてきた。

 苗氏の前任者だった張陽氏も17年、贈収賄などの疑いで調査対象となり、自殺した。張氏は習政権発足前に総政治部(政治工作部の前身)主任になった「外様」で、非主流派粛清の一環だった。また、中央軍事委副主席の経験者2人も粛清されたが、いずれも退役軍人で、江沢民元国家主席派だった。

 軍以外でも、苗氏のように大組織の人事を握ったり、有力派閥を動かしたりする現役高官が失脚したことは、習政権下ではこれまでなかった。

 大規模な戦争を経て成立した中国共産党政権では、軍が政局でも重要な役割を果たすので、政権トップにとって、軍を掌握できるかどうかは死活問題。それだけに、苗主任の失脚は政権全体を大きく揺さぶっている。

 反腐敗闘争では通常、政権主流派の要人が対象になることはなく、習主席が重用した軍高官がなぜ粛清されたのかに関しては、謎が多い。

軍内「福建閥」の中核

 中央軍事委は現在、トップの習主席と5人の軍人で構成。5人のうち、2人が中央軍事委副主席で、党指導部の政治局メンバーでもある。張又侠筆頭副主席(制服組トップ)は習主席の陝西省人脈に属し、同省出身だった両者の父親が革命時代の戦友だった。もう一人の副主席である何衛東氏は、軍内で大きな勢力になっている福建閥の筆頭格。福建省は、習主席がかつて17年も勤務した地方で、同省出身者は現政権で多くの要職を占めている。

 副主席以外の中央軍事委員は苗主任と連合参謀部の劉振立参謀長、中央軍事委規律検査委員会の張昇民書記。李尚福前国防相もメンバーだったが、既に解任されている。

 苗主任も福建閥の一員。しかも、何副主席と同じく、福建省の旧第31集団軍(複数の師団から成る大部隊)出身だ。今の地位は何副主席の方が高いが、年齢は苗主任(1955年生まれ)が2歳上。中央軍事委入りも苗主任が5年早かった。中央軍事委員ではなかった何氏がいきなり副主席に就任したのは、人事を担当する苗主任の意向だったとみられる。5大戦区の一つで、福建省を含む東部戦区の林向陽司令官(22年就任)も、かつて第31集団軍に所属していた。

 軍内の福建閥は事実上、苗主任を中心に勢力を拡大してきたと思われる。

露骨な派閥人事

 苗主任は変わった経歴の持ち主で、習政権1期目に旧蘭州軍区政治委員から海軍政治委員に異動。陸軍から海軍へ転籍した形となった。習主席が特に重視する海軍で習派をつくり上げるため、例外的な人事で送り込まれたようだ。

 董国防相は、苗主任が政治委員として海軍全体の管理業務を担っていた時期に、海軍副参謀長として仕えた。その後、海軍司令官を経て国防相に昇格した人事(23年12月)は、苗主任が主導したとの見方が多い。同年夏には海軍の王厚斌副司令官が旧第2砲兵(ミサイル部隊)出身者以外で初めてロケット軍司令官に起用されている。

 ただ、一連の人事は派閥色が濃過ぎて、軍内で反発を買ったのか、董国防相は歴代国防相と異なり、中央軍事委員になれず、国務委員(上級閣僚)を兼ねて国務院(内閣)指導部に入ることもできない状態が続いている。

 董国防相については、英紙フィナンシャル・タイムズが11月26日、汚職容疑で調べられていると報じたが、国防省報道官は同28日の記者会見で「全くの捏造(ねつぞう)だ」と否定した。

軍人トップが反撃?

 これほど権勢を振るってきた苗主任を失脚に追い込んだのは、いったい誰なのか。中央軍事委で苗主任の上位にいるのは習主席、張副主席、何副主席の3人だが、何副主席は同じ福建閥で、苗主任の仲間であろう。

 では、苗主任が力を持ち過ぎたため、習主席が軍内、政権内の権力バランスを取るため、泣いて馬謖(ばしょく)を斬ったのか。しかし、習主席は既に自分が抜てきした外相と国防相(いずれも国務委員兼任)を解任しており、さらに軍内で自分の代理人として重用してきた幹部を粛清すれば、党総書記・中央軍事委主席としての統治能力が疑われ、自らの権力基盤を弱めることになる。

 となると、残るのは張副主席しかいない。張副主席はかつて、武器調達を担当する旧総装備部、その後身である装備発展部の部長を務めた。このため、ミサイル開発・調達に絡むとみられる一連の汚職摘発で、装備発展部長の後任だった李尚福前国防相ら、張副主席に近い軍高官が多数失脚して、苦境に追い込まれていた。

 ところが、本欄「揺らぐ習近平1強のタカ派路線」(10月29日)で指摘したように、最近は異例のベトナム訪問などで存在感を増している。23年後半からの推移を振り返ってみると、張副主席が当初、ミサイル汚職摘発で政治的に劣勢になったものの、このところ盛り返しているように見える。

 もし今回の苗主任失脚が張副主席の圧力によるものだとすれば、苗主任と緊密な関係にある前記の軍高官たちにも類が及び、激しい粛清が断行される可能性がある。

党内政局に影響も

 また、3期目の習政権では党内主流派の最強派閥も福建閥なので、軍内福建閥への打撃が党内政局に影響するかどうかも気になるところだ。党内福建閥の領袖(りょうしゅう)は党中央書記局筆頭書記(幹事長に相当)の蔡奇氏。最高指導部の政治局常務委員会での序列は7人中5位だが、その実力は浙江省人脈の筆頭である李強首相(序列2位)をしのぐといわれている。

 蔡氏は筆頭書記としては異例の人事で、党中枢の事務を担う中央弁公庁主任を兼務。同主任は、総書記が地方や外国に行く時、随行するのが主な職務の一つだが、蔡氏は10~11月、習主席の福建、安徽、湖北3省視察に同行しなかった。

 同時期のロシア、ペルー、ブラジル訪問には同行しているので、体が悪いわけではないようだ。蔡氏は中央で多くの仕事を抱えていることから、自分が単独で地方に行くことは少ないが、なぜ「本業」である習主席の地方視察同行もしなくなったのかは不明。職務内容に変更があったのかもしれない。

 中国政局は一気に流動化しており、ウオッチャーの間では、次の党中央委員会総会(4中総会)がいつ開かれるのか、そこで重要な人事異動があるのかどうかが注目されている。

(2024年12月3日)